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熊本地方裁判所八代支部 昭和28年(ワ)102号 判決 1957年2月01日

原告

福田直人 外一名

被告

涌田光記 外一名

主文

被告等は連帯して原告福田直人に対し金四拾四万六千六百六十九円、原告福田ツモに対し金四拾壱万五千弐百六拾八円及び夫々これに対する昭和二十八年十二月十七日から各支払済迄年五分の割合の金員を支払え。

原告等その餘の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の負担とし、その二を被告等の負担とする。

この判決は原告各自において、被告各自に対し夫々金拾五万円の担保を供するときは第一項に限り假に執行することができる。

事実

(省略)

理由

原告等と被告涌田光記との間に訴外亡福田長康が原告等の長男であつたこと。被告涌田光記が亡長康に加害行為をなし、同人が死亡したことは右当事者間に争がなく、原告等と被告植田雄三との間に訴外亡福田長康が原告等の長男であつたこと、被告植田の父の耕作段別、納税額、生活程度等が原告主張どおりであることは右当事者間に争がない。

原告等は訴外福田長康が死亡したのは被告等が共同して殺害したことによるものであると主張し、被告等はこれを争う(被告涌田が亡長康に加害行為をなし同人が死亡したことは原告等と被告涌田との間に争がない)からまずこの点の審理をするに成立に争のない甲第一号証、同第二十一号証の一、二、同第二十二号証、同第二十号証の一部、同第二十三号証の二の一部に同第三十号証、同第三十三号証の二、三、証人和久田三千代の証言、同涌田一次の証言の一部、証人小田直の証言を綜合すれば、被告両名及び被害者訴外亡福田長康はいずれも熊本県八代郡千丁村大字古閑出部落内に居住する青年であること、昭和二十七年十一月二十五日居村二の丸南組青年クラブで、亡福田長康は同席していた被告等青年に対し醉餘盃を投げつけたり殴つたりその場に小便をしたりして乱暴をしたこと、同人は同部落青年中では最も腕力が強かつたこと。昭和二十八年二月十五日夜被告等が八代郡八千把村笹川劇場に映画見物に行つた際亡長康も映画見物をしていたところその帰途同日午後十時頃八代郡千丁村大字古閑出字二の丸係り村道路上(二の丸中組青年クラブ前)で被告植田雄三が知合の訴外和久田三千代(当時十七歳位)と話をしているのを見て右青年クラブ前に居合せた亡長康が右植田雄三に近附いて「お前は何か」と因縁をつけて同人を殴つたこと、被告涌田光記はこれを見て突嗟に長康の背後から同人の腰部附近を所携の切出小刀で突き刺したこと、更に同所の西方約二十米村田作次方前道路上で、被告植田は亡長康に組付き被告涌田は前記小刀で亡長康の前後から同人の胸部背部腹部等を十数回突刺したこと、亡長康が全く抵抗力を喪失するや、被告等は協力して亡長康を同所道路脇の用水路に投込みその場を逃走したこと、亡長康は右刺傷中主として胸部正中右側上部の刺傷による失血により昭和二十八年二月十七日八代市萩原町五十四番地丸田病院で死亡したことが認められる。

以上によれば被告等は予て亡長康から暴行を受けていながら、同人が強力であるため単独では手向ができなかつたところ、偶々前記日時亡長康に暴行されるや協力して亡長康に傷害を蒙らせたものであることを認めるに足るもであり、以上の事実に成立に争のない甲第二十三号証の二の一部及び同第二十一号証の一によれば被告植田雄三はその際被告涌田光記のため自己の左手掌に負傷させられていることが認められるから、被告涌田光記が兇器を以て亡長康を傷害していることの認識を有つていたものと推認し得る。

成立に争のない甲第二十三号証の一乃至五、同第二十四号証乃至第二十六号証、同第三十一号の二中右認定に反する部分は措信しない被告涌田光記は右傷害は正当防衛行為であると主張するから考えるに、なるほど亡長康に対する被告等の加害行為は亡長康の誘発に基因するものであることは認められるが、前記認定の事情によれば、被告等は予ねて亡長康に対し含むところがあつたゝめ、亡長康が青年クラブ前道路上で、和久田三千代と話している被告植田雄三を殴つたところ被告涌田光記はその場で亡長康をその背後から突き刺しているものであり(成立に争のない甲第三十号証及び同第二十号証実況見分書中青年クラブ前における血痕の記載)右所為によりむしろ亡長康の暴行を契機として同人に対する攻撃を開始したに過ぎないものと認めるのを相当とし、正当防衛の観念を容れる余地がないものというべきであるから被告涌田光記の右主張は採用し難い。

しからば亡長康は被告等の右共同傷害行為により死亡したものというべきであり被告等は右共同の不法行為により加えた損害につき民法第七百十九条により連帯してこれが賠償をなすべき義務を負わねばならない。そこで原告主張の(一)乃至(三)の損害額について考察すると

(一)  の損害額については、成立に争のない甲第一号証及び乙第五号証の記載、証人福田直行の証言、原告直人本人訊問の結果によれば長康は生前水田二町八反位を耕作する自家農業に従事していた二十三歳十一月の健康体男子であつたことが認められるところ厚生大臣官房統計調査部の第九回生命表によれば長康は本件事故死がなかつたならばなお四三、六六年の餘命を保つたであろうことが推定され尚その間満五十五歳に至る迄の二十一年間は経験則に照らし農業労働に従事することが可能であつたものと推定される。そして農業労働者の報酬に關する証人小田直の証言に徴し生前における長康の生活費を控除した年間所得が金三万六千円を下らなかつたとの原告の主張はこれを優に認めることができるので、これに労働可能年数を乗じそれより年五分の割合による中間利息をホフマン式計算によつて控除すると計数上金六十六万三千百七十二円となるが本件は被害者長康においても前認定の通り因縁をつけて、被告等を殴つて憤激させ被告等の本件不法行為を誘発したものと認められるので、被告等が本件不法行為をなすにつき右長康に過失があつたものというべきであるからこれを斟酌し右金額の十分の八の五十三万五百三十七円を以て長康が本件事故によつて失つた財産上の損害と認めるのを相当とする。然して原告等が亡長康の直系尊属であることは当事者間に争がなく、配偶者及び直系卑属は長康には無かつたのであるから右損害賠償請求債権は原告等が二分の一宛相続したものと言うべきである。

(二)  の慰藉料については原告等が長男長康の不慮の死に遭遇してその悲しみも一入深かつたであろうことはこれを窺い得るところであつてその精神的苦痛を慰藉するには、原被告及び被害者の一切の事情を考慮し原告等に夫々金十五万円の慰藉料を被告等連帯を以て支払うべきものと認める。

(三)  原告直人は亡長康の医療費及び葬儀費として十二万千六百六十二円を支出したとしてこれを請求しているが原告直人本人訊問の結果竝にそれによつて成立の認められる甲第四号証の一、三、四、同第五、七、八、十、十一、十六の各号証及辯論の全趣旨を綜合すれば、原告直人が亡長康の医療につき、金三千円を亡長康を丸田病院に運ぶために、金四千七百九十五円を治療費として丸田病院に夫々支払つたこと及び葬儀につき、金百円を死亡診断書料、金三千四百円を死体運搬費、金六十円を八代市役所、手数料、金二百九十円を仏衣一式代、金二千五百円を火葬料、金八千二百円を僧侶五名、金四百七十円を椎茸等代、金二千百円を酒代、金千六十五円を人蔘等代、金百六十円を竹代、金五千二百六十一円を棺等代として夫々支払つたことが認められ、この合計金三万千四百一円は被告等の負担すべき本件事故に因る損害と認むべきも、これを超過する部分については甲第六号証の一、二、同第九、十二乃至十五の各号証には原告等主張に副う如き記載があるけれども、かゝる費用(特に飲食費)は本件に於て通常生すべき損害とは認め難く原告直人本人竝に証人福田直行のこの点に關する供述も措信し得ずその他原告直人の右主張を肯認すべき資料は存しないから、これを被告等の負担すべき損害として請求するのは失当たるを免れない。

よつて被告等は連帯して原告直人に右(一)(二)(三)の合計金四十四万六千六百六十九円、原告ツモに(一)(二)の合計金四十一万五千二百六十八円及びこれ等に対する昭和二十八年十二月十七日以降完済迄年五分の割合による法定損害金を支払う義務があり、この限度において原告等の請求は正当であるからこれを認容しその餘は失当としてこれを棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条第九十三条假執行の宣言につき同法第百九十六条第一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 立山潮彦 西〓孝吉 松下歳作)

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